ここは、ultima-Thule Seminarと川北ゼミナールの休憩室です。


このページは、旅に関するコラムのページです。

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旅とは…

旅とは…

 「旅」と「旅行」は違う、とよく言われますが、確かにそう思います。「旅行」は観光などの目的の旅で、「旅」は目的にかかわらない日常生活からの脱却だと、私はとらえています。
 若い頃は、カッコよく言えば「ロマンを求めて」なんてところがありました。でも年をとるにつれ、「生きる」とか「学ぶ」とかを考えるようになって、旅の目的が変わってきました。外国語を学ぶ理由の一つに、文化を学ぶというのがあります。例えば、英語という言語を使って、その言語を使う英米の文化を学ぶということです。これはドイツ語であってもフランス語であってもイタリア語であってもスペイン語であってもポルトガル語であっても同じです。どんな言語であっても、その言語を使えるようになってくるにつれ、その言語を操っている人々の文化や考え方が次第にわかってくるものです。
 例えば、狩猟民族の連中は、捕った獲物の肉が腐るまでに次の狩りをしなければならないから、時制(特に完了形)について厳しくなるのに対し、農耕民族である日本人などは種を蒔いたら後は天候まかせだから時制がいい加減だとか、いろいろなことがわかってきます。そういう文化を理解するために英語を自由に使いこなせるようにしたいから海外に行くことと、いろいろな文化を実際に経験してみたいから海外に行くことが多くなりました。そのため、必然的に英語圏の国が中心となっています。そのせいで、みんながよく行くフランスやイタリアには行ったことがありません。大学では、第1外国語でフランス語をとっていたのに…。卒業生がフランスに行ってきたとか、タイに行ってきたとか聞くと、悔しく思うことがある反面、いい経験をしてきただろうな、とうれしくなることもあります。
 普通のサラリーマンと違い、有給休暇というものが我々にはないので、なかなか思うようにはなりません。せいぜいゴールデン・ウィークかお盆休みですが、料金的には問題ありでしょう。そこで、合格者が出て2次試験にみんなが行く2月の終わりぐらいがちょうどよいことになります。国内でも旅してみたいところはいっぱいありますが、海外に行く方が安い上に英会話の練習もできるとなれば、自然と足は海外に向いていますねぇ。ただ、年老いた母を年老いた犬や猫たちと一緒に何日も家を空けるのは、頭が痛いところです。

行ってみたいところ

行ってみたいところ

フィンランド

  •  もしできるなら、フィンランドに移住したいと考えています。特にロバニエミのあたりです。
  •  友人にその話をすると、「何で? 寒いのに」と必ず聞かれます。すると逆にこう聞き返します。「暑い熱帯地方で人工の涼しさを出すエアコンの部屋に入るのと、寒い地方で暖炉の火に暖まるのとどちらがより快適?」 そうすると、みんな納得してくれます。
  •  授業中にその話をすると、「何でフィンランドですか?」といつも聞かれます。ご存じの方も多いと思いますが、昔は週刊平凡パンチとか週刊プレイボーイなどの週刊誌が全盛でした。見開きにヌード写真があり、今と違い、胸が露わになっているだけで「オーッ!」とか言っていましたね。で、その平凡パンチに、「フリーセックスの国北欧」とかいうタイトルで、フィンランド特集がありました。中学の同級生と集まっては「わー、いいなぁ」とか騒いでいました。そこで、密かに書店に走り、フィンランド語の文法書を買い、独学で勉強していました。今思えば、非常に不純な動機でしたね。「フィンランド語四週間」という本でした。これがまたえらく古くさい本で、漢字も旧字体でした。高校入学後、別の事柄に興味が移りしばらく忘れていました。そして、1980年代後半から海外に行くようになって、海外の人たちの人なつっこさや親切、受け入れてくれる奥深さなどを知るに連れて、なんて日本人は冷たいんだろうと思うようになりました。それならいっそ将来は海外に移住したいと思うようになりました。そのとき、すでに忘れていたのですが、フッと思い出したのがフィンランドでした。昔の不純な動機はとうの昔に忘れていましたが、「ナケミーン」というフィンランド語が頭をよぎったからです。調べてみると、英語で十分なのですが、移住となるとやはりフィンランド語が必要だと思い、徳島に帰ってきて例の書店に走りました。書店の部長に尋ねると、「フィンランド語なんてするのは四国であんただけと違うか。それやったら領事館にでも聞いた方がええと思うで」などと返事しながらも1冊の本を探し出してくれました。それを見て、アレッと思いました。中学時に買った本そのものだったからです。漢字はやっぱり旧字体で、しかも文語調、読みづらいことこの上ないという代物です。今でもときどき開けては読んでいます。4週間どころかゥン十年かかっていますが…。
  •  3年前に教え子同士が結婚して、その新婚旅行がフィンランドでした。よく授業中にフィンランドの話をしていたので、それで決定したそうです。言い出しっぺの私より先に行くとは…。うらやましい限りです。

その他自然の豊富なところ

  •  「人に見られただけでもう自然ではない」と言われますが、そこまで堅苦しい人跡未踏の自然ということではなく、緑の豊かな地に行きたいという意味です。過去に行った場所を振り返ってみると、案外都市部の観光地が多いことに驚きます。自分では心の安らぎを求めて行っているはずなのに、勉強のための旅行になっていますねぇ。
  •  1週間ぐらい仕事を離れてボケーッとするために行きたいところでは、マルケサス諸島・ボラボラ島・モルジブ・セイシェル
  •  隠された歴史などの勉強で行ってみたいところでは、ノルウェー・スウェーデン・デンマーク・ハイランド地方
  •  文化・歴史の勉強で行ってみたいところでは、イタリア全土・フランス全土・中国
  •  言語の勉強で行きたいところでは、英語圏の国

 こんなことを言い出したら、いつまで経っても死ぬことはできませんね。ただ、そこに住むのではなく、観光なり旅なりで訪れて自分の目で見て、いろいろな事を知って経験したいと思っています。

生徒には…

生徒には…

 生徒には、視野を広げてもらうために「大学は県外に出ろ。大学在学中に海外に行け、あるいは海外で暮らせ」とよく言っています。育った環境にある基準だけでなく、別の地域には別の基準があり、それも受け入れることが平等であり民主主義の基本だからです。物理の「系」と同じです。言い換えれば、自分の育った地域での常識は、日本の常識と必ずしも一致するわけではないし、また日本の常識が世界の常識に必ずしも一致するわけではありません。それを認め、受け入れた上で初めて対等の議論ができるからです。社会に出ればなかなか海外に行く時間は取ることができません。観光目的もたまにはいいでしょうが、下町でこそそこの住民と同じように飲んで食べて話をすれば、日本がいかに贅沢で、かつその贅沢に慣れきって平和ボケの生活をしているかということが理解できるでしょう。
 学びたくても学ぶ場所や学ぶ機会のない少年少女(例えばアフリカやアフガン・イラクなど)に比べれば、学ぶチャンスがありながらそれを活かさず楽しいことばかり追求している日本の高校生は、一体何を学んでいるのでしょうか。国の将来を思い必死で学ぼうとする彼らに比べると、目的もなくただ授業を受けているだけの日本の高校生は、いかに贅沢な暮らしをしていることでしょう。当然、全員がそうだと言っているわけではありません。ただ、自分のやりたいことだけを学ぼうとして選択科目を選ぶ日本の高校生と、あらゆることを学び国のために活かそうとするのとでは、自ずと学ぶ意欲が異なるでしょう。不足しているからこそ意欲が湧いてくるのに、物が巷に溢れなおかつすぐに求める物が手に入るような社会では、勉強の意欲が失われるのは当然でしょう。
 また、「第1志望大学に合格したら希望者は海外に連れて行ってやる。ただし、その費用は親に出してもらうのではなく、自分でアルバイトをして稼いだ金に限る」とも言っています。自分で稼いだ金でなければいい加減な旅行になり何も得る物がなくなってしまいますが、自分が稼いだ金ならば有効に使うだろうという目算もあります。1996年以降、自分で海外に行った生徒が4人、当方に言ってきて連れて行ったのが9人です。およそ12人に1人の割合ですね。ロンドンや香港以外にも台湾などにも連れて行きましたが、台湾は英語が通用しなかったので二度と行っていません。本当のことを言えば、「痩せるウーロン茶」を買いに行きたいのですが…。カメラを持っていったのは、2002年のロンドンと2007年・2011年の香港のときだけです。そのときの写真をこのアルバムにアップしました。

エピソード

エピソード

アメリカ

  •  西海岸のサンフランシスコに行ったとき、道に迷いました。あごひげを蓄えた強面の男の人に道を尋ねると、親切にも地図を書いてくれました。そして、そこからが面白かったぁ。大阪弁で要約してみると、こんな感じです。「どこから来たんや?」「日本から」「何で来たんや?」「いろいろ知りたくて」「何でや?」「先生をしてるよって」「えーっ、何の先生しとるんや?」「塾(cramming school)の先生や」「そこはどんな所や?」「大学に入学するための予備校(coaching school)みたいなもんや」「ほな、日本はどんな教育制度なんや?」「これこれこうや」「アメリカの教育制度はこれこれこうなってるんやで」「ふ〜ん」「ところでな、うちの父ちゃん(daddy)はフォーに勤めてるんや。フォー、知ってるか?」「フォー?」「フォー知らんのか? 自動車の会社やで」「ああ、フォード(Ford)?」「せやせや、で俺はな、サーカスに勤めてあちこち旅行してるんやで」「え、サーカス? サーカスで何の仕事しとるんや?」「馬の世話や」「サーカスに出てくる馬の世話?」「そうや、おまえおもろい奴ゃな。ホテル予約してるんか?」「いや、まだや」「ほな、うちに泊まれへんか? いろいろ話をしようじぇい」「OK」てな感じで、Davidの家にその日は泊まりました。人なつっこさがアメリカ人の心情なのでしょうか。食事まで作ってくれて、アメリカ人の心の深さを思い知った旅でした。ただ、中部出身のため訛りが強くて、聞き直したり、筆談になったりしたのもいい思い出です。あれは、昭和62年ぐらいだったと思います。そうそう、Davidがよくnot easyと言っていたので、「It means difficult?」と聞き直すと、「What's "difficult"?」と言われたのには驚きました。綴りを言っても知らないと言うんですから…。
  •  サンフランシスコやロサンゼルス、シアトルのような西海岸しか行ったことがありませんが、メイン州あたりの東海岸や中部モンタナあたりにも行ってみたいと思っています。まだ自分では東海岸に行ったことがないのに、卒業生をロードアイランド州のProvidence Collegeに留学させたりしています。西海岸ではオークランドのHolly Names Collegeに教え子が留学し、現在もアメリカで暮らしています。
  •  9月11日のテロで、高1の時の同級生が亡くなっています。その慰霊でニューヨークにも行きたいと考えています。

グァム・サイパン

  •  グァムもサイパンも太平洋戦争の悲劇を辿るつもりで行きました。なぜかというと、「大日本帝国」という映画を見て、父がよく言っていた戦時中の苦しさを思い出したからです。今日の日本の繁栄は、死んでいった彼らの亡骸の上に成り立っているという思いがしたからです。戦いのあった場所やサイパンのバンザイ・クリフなどを訪ねました。しかし、街中では「ポルノ」とカタカナで書かれた看板があったり、日本語で話しかけられたりして、英語の練習にはなりませんでした。
  •  太平洋戦争の激戦地として、また、戦死者だけでなく餓死者も出た悲しい土地として、心に刻みつけておきたい場所でした。慰霊のためにまた行ってみたいと思っています。

ハワイ

  •  当時勤めていた塾の慰安旅行でハワイに初めて行きました。グァム・サイパンでの経験があったので、listeningよりspeakingの練習をしようと思いました。それには若い女の子を口説くのがいい(?)と思い、2日目にある店で見かけたブロンドの女の子を目当てに、3日目に出かけていきました。すると、ハワイ大学に留学していた英語の先生と別の英語担当の先生2人が「どこに行くん?」と、私の服の裾をつかまえて一緒に付いてきました。まさか女の子を口説きに行くとも言えないので慌てましたが、幸いというべきか不幸と言うべきかその女の子はその日はお休みでした。仕方なく拳銃を撃ちにダイヤモンドヘッド・ガンクラブに出かけました。サイパンとグァムで銃を撃ったことがありましたが、「初めてでぇーす」と申し込みました。ピストル・リボルバー・ライフルの3種類撃ちました。ピストルとリボルバーはVery good shooting!と書かれましたが、ライフルは10発撃って1個の穴しか開きませんでした。つまり全弾同じ箇所に命中で、Fantastic!と書かれ、おまけにYou're a sniper?と聞かれました。自慢していいのでしょうか。あと潜水艦に乗ったことも初めての経験でした。閉所恐怖症の私には辛い体験でした。
  •  街中で英語で話しかけても2人に1人は、日本語が返ってきました。ホテルのフロントでも「Can I read this paper?」と聞くと、「構いませんよ」と日本語です。これにはうんざりしました。そのため、食事や買い物は、つとめて白人のいる店にしました。
  •  英語の練習を抜きにすれば、ハワイで興味があるのはフラと、ピクチャー・ブライドのような日系の人たちの苦労です。フラの深い意味を知るにつけ、日本と同じように自然と共生し、自然に感謝してきたハワイ原住民の生き方を学びたいと思っています。そのためには、またハワイに行って直接向こうの人と話をする必要があるでしょうね。年をとった日系の人たちに当時の苦労話も聞きたいと思っていますが、時代が進んでしまってはもう無理かも知れません。

台湾

  •  台湾には、卒業生3人と行きました。エキストラ・ベッドを入れてもらうために、1人の卒業生にフロントに電話をさせました。「先生、英語が通じません」「そんなことないやろ」「あ、日本語で言ったら通じました」ー愕然…。
  •  小籠包がとにかくおいしかった。
  •  「痩せるウーロン茶」を嬉々として買おうとしたところ、一緒にいた天才児O(女子)に「先生、また騙されたふりをして買おうとしている…」と言われました。この子は人の心を見抜くのが上手で、全国模試でも出題者の意図をすぐに見抜いて全国2位の成績を取ったこともあります。暴走族なんかと遊ばずにもっとまじめに勉強していれば、医学部も軽々と合格しているのに、と何度も思ったことがあります。騙されたふりをして買ったウーロン茶ですが、本当に1ヶ月で5㎏体重が減りました。
  •  小籠包を食べる、痩せるウーロン茶を買う、この二つが台湾に行く目的です。

バリ島

  •  デンパサール空港に下りた途端、特有の臭いに咽せました。後でわかったのですが、煙草の臭いでした。銘柄はもう忘れましたが、黒い紙筒で口に付けるフィルター部に砂糖?がついて、火を点けるとパチパチと弾ける煙草の臭いです。独特の臭いで、日本に帰ってきても服に染み付いた臭いが落ちるまでずいぶん掛かったのを覚えています。
  •  ヌサドア・ビーチのホテルに泊まりましたが、藤棚の下で食事をしているときに毛虫がその上に落ちてきたのには閉口しましたね。
  •  農村部にも行きましたが、まるで昭和三十年代の日本の農村を見る思いでした。ヒンドゥー教だったかな、祠のようなのが田んぼの脇にあり、お供え物をしてありました。昔のよき日本を思い出しました。あれからもう25年も経ってしまったやなあ。

その他

  •  オーストラリアと中国にも行きましたが、エピソードらしきものはありません。せいぜい中国のニーハオトイレぐらいです。今ではほとんどなくなっているそうですが、まあ、それより少しましなトイレが台湾のトイレかな。日本人が初めて台湾に行くと、だいたいトイレでびっくりするそうですが、中国ではもっとひどかったですね。いつも金属探知機に引っかかるので、怖くて北京に2泊しただけでしたが、行きたいところはいっぱいあります。まず上海では、祖父の出身大学である東亜同文書院大学の跡を訪ねてみたいと思っています。そして、シルクロードに関する各地に行きたいけれど、これは夢で終わりそうです。
  •  オーストラリアもシドニーとメルボルンだけで、昨今の高校生が修学旅行でよく行くようなところ(ゴールド・コーストなど)には行ったことがありません。ただ、発音の訛りがひどくなかなか聞き取れなかったことは覚えています。ただ、オーストラリア中部の自然環境が昔のまま残っているような地帯には冒険として行ってみたいと思いますが、体がこのような状態では無理でしょう。まあ、西部のパースにはそのうち行ってみようと思っています。



ロンドンと香港に関しては、それぞれのページをご覧ください。

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