このページは、猫に関するコラムのページです。お気に入りの写真を見ながら、読んでみてください。
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猫と人のつながり
猫と人のつながり
世界的には、アフリカのリビア原産と言われていますが、エジプトでは神(豊穣と慈愛の女神バステト)として崇められ、そのミイラが大英博物館にも収蔵されています。
日本では、遣隋使か遣唐使が仏教の経典を持ち帰るときに、経典をネズミに食い荒らされないよう猫も一緒に連れてきたのが、日本の猫の始まりだと言われています。
このように、猫がネズミを捕まえることで人間の役に立ってきた歴史があり、人間は猫に助けられてきた過去があります。野生の本能が減ってきている分、人間とのつながりが次第に密になっているようです。
猫について
猫について
きれい好き
- 教えなくともトイレは自分で世話をするし、自分の生活圏が整理されていないと気が済まないところがあります。
遊び好き
- 遊ぶことで狩りの本能が呼び覚まされるのか、よく遊びます。しかし、飽きると見向きもしません。そこを見極めて、猫の相手をしてあげましょう。
孤独を好む
- 犬が群れで生活するのに対し、猫は単独生活を好みます。だから、構い過ぎるのも考えものです。でも…
寂しがりや
- 孤独を好む性格だが、意外と寂しがりや。家猫の特徴だと思うが、構ってもらいたいときにはよく甘えてきます。しかも…
甘え上手
- 構ってやらないとよく甘えてきます。その甘え方が、猫好きにはたまらないのでしょう。
学び方が上手
- 飼い主の真似をしたり、他の猫の真似をして、いろいろ学んでいきます。その進歩の度合いは、他の動物に比べて抜きんでています。
案外飼い主に忠実
- 情の深さや恩義に対する礼儀、他の猫との長幼の序などが見受けられます。そのため、犬ほどではありませんが、飼い主に案外忠実な面が大いにあります。犬は人に付き猫は家に付くとよく言われますが、見ている限りではよく人になつきます。
知能が高い
- よく犬は賢いと言われますが、人間の命令を聞くことを賢いと勘違いしていませんか。それは「素直」というものではありませんか。犬は人間の命令をきき、猫は自分で考えて行動しています。
寒いときは暖かくしてやる
- 猫はアフリカ原産なので、暑さには強いのですが、寒さには強くありません。そのため、冬場はストーブなどを付けて暖かくしてあげましょう。また、いくら暑さに強いと言っても、やはり熱射病にはかかってしまいます。適切な温度と水を用意してあげましょう。
訴えたいこと
訴えたいこと
猫や犬に限らず、人間と動物、植物はお互いに助け合いながら生きていく仲間であり、生態系の一部をなす要素でもあります。だからこそ、「可愛いからペットを飼う」とか「癒されるからペットを飼う」ということには、私は反発を感じます。ましてや純血種とか雑種とかの区別(差別)は、最も嫌うところです。もし、人間で純血種や雑種といった区別をすればどうなるでしょうか。
ましてや「捨てる」という行為は理解できません。自分のこどもが気に入らなくなれば捨てるのと同義だと私は思います。まあ、最近は幼児虐待とかネグレクトなどが人間でもよく見受けられますが、動物に触れることで生物としての本能を人間は見直してもらいたいと思います。見ていると、犬や猫の方が現代の人間よりはるかに愛情深く、自分の子に対する母性本能は人間をはるかに凌駕しているように感じられます。特に、猫は、自分の子供が独り立ちできると判断すれば、突き放します。子猫が親猫の後を追おうとしても、怒りながらも突き放します。子育ての基本がここにあるように思いますね。
アメリカやヨーロッパでは、セラピーキャットとかセラピードッグとして、病院や老人ホームなどを訪問する犬や猫もいます。患者や高齢の方の精神を安定させ、血圧を下げ、自閉症患者の心を開かせたりする働きが認められているからです。犬や猫が人間に与えてくれるものは計り知れないほど大きく、逆に人間が犬猫に与える物のどれだけ小さいことか。
せっかく生まれてきた命だから、同じ生き物として差別をせず共に生きていく仲間として、捨てられていた猫や犬を引き取って面倒を見ています。家族として、仲間として、お互い助け合いながら生きてほしいと願っています。「可愛い」とか「癒される」という理由で動物に接するのではなく、同じ生き物、「地球家族」だと思ってほしいと考えています。
しかし、現在、犬が本能として走り回ることのできる場所がどれだけあるでしょうか。人間の都合で引き綱(リード)を付けなければ罰するような法律は、人間のエゴの極みです。そういう法律を作る前に、犬が安心して走り回ることのできる場所を作るべきではないでしょうか。そう、車に乗っている人はわかると思いますが、駐車場を作らずに駐車禁止の場所ばかりにするのと同じですね。猫についても同じです。他の動物でも同様です。高速道路で車にはねられる野生の生き物(タヌキ・キツネ・シカ・カンガルーなど)が多いということは、人間が自分の都合だけで世の中を変えてきた人間の傲慢さ以外の何物でもありません。最近では、熊が人里に下りてきたというニュースをよく耳にしますが、熊の生息地を狭めていった人間の罪はどうなるのでしょうか。自然保護、自然保護といいながら、生息できないようにしている人間の罪は裁かれず、なぜ動物だけが裁かれなければならないのか。そうやって人間は、自分にとって都合のよいように法律を作り、動物や植物を絶滅に追いやっていくのです。環境保護というかけ声と文明の発達は相反するもののように思えてなりません。
例を挙げてみましょう。開発した土地は法務局に登記されます。でも、それ以前に動物が自分のテリトリーとして持っていた場所です。動物が先に所有している土地を人間が侵略して、勝手に自分たちの法律に当てはめ、自分たちの土地に侵入してきたから射殺するというのは、どこかおかしいのではないでしょうか。漁業であれ、狩猟であれ、昔はバランスが取れていたものです。そのバランスを崩して、将来のことを考えずに捕りっぱなしや過剰に捕獲すれば、絶滅危惧種になるのは当たり前でしょう。これ以上、動物たちのテリトリーを荒らしてはなりません。
犬や猫だけでなく他の動物や植物も生存する権利があるし、生き残ることに必死になっています。ど根性大根という話題がありましたが、まさにその通りだと思います。人間以外の生物は生き残るのに必死で、人間が享楽を貪るようになったのはなぜでしょうか。いかに人間が人間以外のものに対して無頓着で思いやりがなく自己中心的であるか、もう一度考え直すべきだと思っています。
どうかお願いです。人間のわがままで飼ったり捨てたりしないでください。飼うのならば、動物について学びながら動物の気持ちになって、最期まで家族として接してあげてください。